ギフテッド教育やタレンテッド教育の必要性は理解できる。日本の集団教育がその芽を摘んでしまう危険性をはらんでいることは古くから指摘されているが、国として抜本的な改善が図れている訳ではない。すぐ先の未来で外資が参入するから、既存のネームバリューや資本力(社内ベンチャー)、あるいは既存の地方拠点(学童)をそのまま生かした形で速攻でスケールさせたい。その意図も分かる。
しかし根本的に、これを地方で展開できるとはとても思えない。虎の誰も深堀りをしなかったが、多種多彩なギフテッドにどう対応して寄り添ったカリキュラムを組むのか、そこが一番肝心なのに全く伝わってこない。例として挙がった「恐竜に興味があるギフテッドの児童」がいたとして、まさか恐竜図鑑を経費で買って渡して終わりという訳ではあるまい。じゃあ、古生物学や地質学に長けた大学教授を講師として雇用するのか。そんなツテやノウハウがあるとの話もなかったが、百歩譲ってピッタリの人材を雇用できたとして、都心だけでなく地方もにそんな教授がいるのか。47都道府県にいるのか。
タレンテッドも同様に、原さんは絵画教室をイメージしてほしいと話していたが、それは地方でも同じことが言えるのか。47都道府県それぞれに講師として雇用可能な絵画の先生がいるのか。同じような音楽の先生がいるのか。ただ絵を描いたりピアノを弾くだけではない。何万人にひとりのギフテッド(才能)を認め引き立てるスキルのある講師である。そして、そんな人たちが都合よく地方にも揃っていたとして、じゃあどうして親御さんは原さんのスクールに通わせないといけないのか。そんな素晴らしい芸術家がその土地にいて、絵画教室や音楽教室をやっているのなら、そこに直接通わせるだけである。わざわざマージンを取られたい親はいない。
本質的には必要な事業だと思うが、言葉を選ばずにいうと、「自分の子は少し変わっているけどこれはギフテッドに違いない!……と、信じたい親」からお金を回収していくモデルに思えてならなかった。まずはスモールスタートで、都心に自身のギフテッドスクールを設け、数々の大学や教育機関と提携してどんな分野にもある程度対応可能だという環境を整えてからが正道ではなかろうか。返す返す、地方でギフテッドに対応するのは無理がある。主に人材の面で。
「えんちょうせんせい?」と返されて場がひりつくトモハッピーが見どころ。